大長九郎
(だいちょう くろう)
力信流九代目宗家/剣道範士/居合道範士
略歴 |
○明治8年3月、岡山県御津郡牧石村に生まれる。 ○明治32年、静岡県警察本部の柔術教師として招かれる。 ○明治33年、大日本武徳会静岡県支部教授となる。 ○明治36年、武修館を静岡市富士見横町(現:静岡市葵区富士見町)に開設し、柔道、剣道、居合道、棒術の指導を行う。(昭和20年、空襲により焼失) ○大正7年、静岡県警察本部武術教授となる。 ○昭和15年、静岡県警察本部武術教授を退職する。 ○昭和30年、古武道力信流杖術保存者として静岡県無形文化財に指定される。 |
剣歴 |
○旧岡山藩武術師範力信流七代、大江安左衛門の門人となり、柔術、剣術、居合術を修行し、明治31年、力信流八代、大江和三郎から力信流免許(柔術・剣術・棒術・十手・早縄・居合)皆伝を授けられる。 ○明治41年、静岡県警察本部の委託聴講生として大日本武徳会で剣道を修行し、講習科を卒業する。 ○大日本武徳会より居合術、剣道、棒術の教士号を授与される。 ○昭和4年、宮中済寧館における御大典記念の昭和天覧試合の指定戦士の部に出場し、近江佐久郎、近藤盛一に勝利するが、高野茂義に敗れる。 ○昭和28年、全日本剣道連盟から居合道範士、居合道十段を授与される。 ○昭和29年、全日本剣道連盟から剣道範士を授与される。 |
その他 |
○現在、力信流を継承しているのは大長九郎の高弟であった祖父美和勝治郎、父美和憲一の子である美和靖之の主宰する三島武修館(三島市若松町)と同じく高弟であった日下部養一の子である疋田朝子の主宰する静岡武修館(静岡市葵区瓦場町)がある。 |